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たけだかおるのフジテレビ・スポーツコラム
フジテレビ・スポーツコラム たけだ かおる

1999.7.30

『かたうでのエース、アボットのゆうき』


せきうでのサウスポー、ジム・アボットがいんたいした。せきうで=かたうでというのは、ややせいかくさをかき、かれにはうではある。ただ、うまれつきみぎてくびからさきがけっそんしたしょうがいしゃである。
 こうこうじだいからアボットのひだりうではスカウトのちゅうもくをあつめていたが、むしろフィールディングのほうにかんたんのこえがたかかったという。グラブのもちかえ、いわゆるアボット・スイッチのてじゅんはこうだ――しょうがいのあるみぎてのさきに、グローブをかぶせるかたちでおいてとうきゅう。なげたのちに、すばやくひだりてをグラブにさしこんでほきゅうすると、ふたたびグラブをみぎうでとむねにはさみ、ひだりてでボールをにぎってそうきゅうする。
 こうしたふくざつなとうきゅうどうさをみて、だれでもおもいつくのがバントせんぽうだろう。こうこうじだい、8にんのだしゃにれんぞくしてバントをめいじたかんとくがいた。せいこうしたのは、さいしょのひとりだけである。また、だいがくじだいには、ほしゅがやまなりにトスするのをみて、ホームスチールをかんこうしたチームもあった―lこれもベースはるかてまえでタッチアウトになった。アボットはこどものごろからこうしたけいけんをなんどもふんできたから、あわてることはなかったのだ。また、だせきがまわってくるアマじだいにはホームランもうち、ナ・リーグにうつったさいごのブリュワーズではヒットをきろくしている。みぎてさきをのぞけば、かれはすばらしいうんどうのうりょくをもったかんぺきなスポーツマンだったわけである。

 アボットのどりょくはもちろんだが、それだけではない。しょうねんやきゅうでげきれいしたしゅういのにんたち、ゆうきをもってマウンドにおくりだしたかんとく。あるいは、さきのバントさくせんのように、なさけようしゃなくアボットをいちせんしゅとしてあつかったあいてチームのそんざいもまた、かのいだいなみちをきりひらいていたはずだ。しゅういはとくべつあつかいせず、ほんにんもとくべつあつかいされることをきらった――こうしたしょうがいのかべをちょうえつして、まされたせんしゅをよにだすアメリカのどじょうが、すばらしい。

 きせきのけいれきは、じつは、うまれたときにはじまっていたといっっていい。かれをこのよでむかえたりょうしんはハイスクールをでたばかり、18としのカップルだった。とつぜん、しょうがいじをだえたわかいちちおやはそうぞうをぜっするが、にくやとちゅうこしゃのセールスでせいかつひをかせぎ、ふうふそろってミシガンだいがくをそつぎょうしている。ははおやはそののち、ロースクールにすすみ、きょういくほうをせんもんとしたべんごしになった。つうさん87かち、93ねんにはヤンキースでノーヒットノーランまでたっせいしたアボットのゆうきは、わかいりょうしんのゆうきでもあるのだ。

 88ねんのソウル・オリンピックのちょくぜん、なりたくうこうでアボットをみかけた。いま、にっぽんではオリンピックやきゅうがわだいになっているが、のも、ふるた、しおざきらのぜんにほんが、こうかいきょうぎだったソウル・オリンピックのけっしょうでやぶれたのがアボットがなげたべいこくチームだった。べいこくチームはそのまえ、8がつから9がつにかけてにっぽんなどへのせかいえんせいをおこない、にっぽんでねっきょうてきなかんげいをうけた。ところが、10がつのほんばんちょくぜん、ソウルいりするまえにたちよったなりたで、にっぽんのメディアはアボットのことなどすっかりわすれていた。しんぶん、テレビのカメラマンがロビーでおいかけまわしていたのは、つめをのばしたフローレンス・ジョイナーだった。そのようすを、アボットはチームメイトとロビーのかたすみでうでをくんでながめていたものだ。  ヤンキースとのけいやくでふんきゅうしたごろ、にっぽんきゅうかいいりのはなしがでた。わたしは、なりたくうこうのことをおもいだしながら、それはない、とおもった。とくべつあつかいがきらいなおとこに、にっぽんはあわない。



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